ウラと大王〜注5

公開: 2020年3月16日

更新: 2025年2月18日

注5. 吉備の国を攻めよ

3世紀後半の大和の大王についての伝承が、古事記と日本書紀にあります。現在の天皇家の祖先、崇神天皇と言われています。その時代は、歴史的には、日本各地に前方後円墳が造られ始め、大和の大王を中心とした古代国家が成立し始めた時代です。その神話(古事記など)によると、第10代崇神(すじん)天皇は、大和の国の勢力を拡大するため、4人の将軍を日本列島の各地に送り、各地の王を攻めさせ、国々を併合したとされています。吉備津彦命(きびつひこのみこと)も、その4人の将軍の一人と言われています。これは、大和朝廷が、古代日本の社会を統一する過程を記したものだとされていますが、わずか50年程度の期間で日本全国を統一することは、古代の社会では、現実的ではなく、大和朝廷の「正当性」を主張するために、奈良時代に作り出された話(フィクション)である可能性が高いと考えられています。

第10代崇神天皇は、神話によれば、二人の最初の天皇とされている人の一人です。「最初の天皇」とされているのは、神武天皇と崇神天皇です。なぜ、崇神天皇が、神話の中で「最初の天皇」と呼ばれたかの理由は、明確には分かっていません。第2次世界大戦後に提案された「王朝交代論」では、崇神天皇以前の天皇は、実在しなかった神話上の天皇とされました。現在の歴史学によれば、崇神天皇は、その子の垂仁天皇らと協力して、2世紀頃から4世紀にかけて、弥生時代後期から古墳時代前期にかけ、現在の奈良県桜井市に建設された纏向(まきむく)遺跡の纏向(まきむく)の城宮を建設し、大和王権の始祖として、古代日本における王権を確立し、箸墓古墳などを建設した、古代の王を「モデル」として生み出された、実在しない古代天皇の一人と考えられています。

神話では、この頃、吉備地方に、朝鮮半島から来たとされる「ウラの一族」の「吉備の冠者」が、製鉄技術を中心とした先進技術をテコに、古代西日本社会の有力な一勢力として、出雲社会と並んで併存していました。現在の岡山県総社市郊外に残る、「鬼の城」遺跡はウラの居城であったとされています。ウラとは、百済の言葉で「王」を意味するそうです。大和朝廷は、出雲と同じように、吉備を併合するように働きかけたようです。吉備津彦とウラの伝説は、出雲神話と同じように、その併合が行われたことを物語った伝説です。吉備津彦も伝説上の人物と考えられます。また、現在の吉備津神社は、もともと、ウラやその一族を祀った神社であったとも、伝えられています。

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